【「医師不足」の処方箋】地域医療 垣根を越えて…やまと地域医療グループ代表田上佑輔氏

 

引用元:読売新聞オンライン

 全国の医師数は年々増えている。厚生労働省によると、2022年は約34万人に上り、10年間で約4万人増となった。しかし、増え方は一様ではない。都市に偏り、地方は医師不足にあえぐ。将来、都市と地方の医療格差はますます広がる恐れがある。地方でも充実した医療を提供するには、どうすればいいか――。11年の東日本大震災を機に一念発起し、東京の大学病院を辞めて宮城県 登米市に診療所を開いた医師がいる。やまと地域医療グループ代表の田上佑輔さんだ。

 実践するのは、医師が都市と地方を行き来する柔軟な働き方。様々な垣根を越えていくことが、医師不足の解消や地域医療の変革につながると説く。(社会部 小泉朋子)

東京と宮城を往来。医師確保が難しいなら、循環すればいい

たのうえ・ゆうすけ 
熊本県出身。東京大医学部卒。
同大医学部付属病院腫瘍外科などを経て、2013年に宮城県登米市にやまと在宅診療所を開業。持続可能な地域医療を目指し、14年に医療法人段やまとを設立。一般財団法人やまとコミュニティホスピタル理事長も務める。
「おかえりモネ」の医事考証を担当。

 2021年のNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」は、東日本大震災後の登米が舞台の一つでした。主人公の勤務地の隣に小さな診療所があり、東京の大学病院で勤務する医師が1週間おきにやってきて診療にあたる、という設定でした。

 このモデルになったのが、私が13年に登米に開業した「やまと在宅診療所」です。患者宅を訪問して診療する在宅医療を行っており、私も「モネ」に登場する医師のように、生活基盤のある東京と宮城を毎週行き来しています。

 きっかけは、東日本大震災でした。東京大学医学部付属病院の勤務医だった30歳の時、大震災が発生。病院勤務の傍ら、宮城県内の被災地に毎週通い、被災者を元気づける催しを開いたり、「県内で一番医師が足りない」という登米で病院の当直を務めたりしました。

登米は在宅医療の担い手も少なく、「この問題に向き合うのが自分の役割だ」と思い、東大病院を辞めて開業を決意しました。

 全国の医師数は、医学部の定員増などで増えていますが、都市に偏在し、地方では不足しています。人口約7万人の登米市の場合、22年末時点の人口10万人あたりの医師数は122・2人で、仙台市(374・4人)や県全体(269・3人)の半分以下です。

 登米で開業するにあたり、ヒントになったのが自身の働き方でした。医師が足りないなら「医師が都市と地方を循環すればいい」と思いついたのです。

 診療所では多様な働き方を推奨しています。私以外にも、家庭と仕事を両立させるため福島県から通っている医師もいます。県内外に賛同する仲間が増え、系列の診療所は神奈川、高知も含め計12か所となり、仙台市内の病院も傘下に加わりました。全体で常勤医約40人、非常勤約75人が在籍し、キャリアや生活に応じた形で地域医療に貢献してくれています。医師が柔軟に働ける環境を作ることが、地方の医師不足を解消する一つの解決策になればと思っています。

 高齢化に伴い、地方では特に、在宅医療へのニーズが高まっています。医療人材が不足する中、きめ細かな在宅医療をどう提供していくかは大きな課題です。

 私の診療所では、医師、看護師、アシスタントの3人がチームになって患者宅を回っています。アシスタントは、医師の指示の下、医師と患者の会話や処方した薬、家族から聞き取った患者の様子などを電子カルテに詳細に記録します。医療関係の資格は不要で、主に地元で採用しています。

 アシスタントを導入するメリットの一つは、医師の負担が軽減され、患者と向き合う時間が長くなることです。大きな病院では「5分診療」などと言われますが、私の診療時間は平均19分で、患者とのコミュニケーションに多くの時間を割くことができています。

 患者の診療状況やスタッフの勤務状況を把握・管理することも重要となります。車での移動が長時間に及んだり、往診先が過度に多かったりすれば、医師らにかかる負担が増し、医療の質の低下につながりかねません。

 このため診療所では、電子カルテの情報から、診療時間、車での移動時間、緊急往診の回数、自宅での 看取りの比率など、約100項目をデータ化しています。例えば、緊急往診が多い場合、患者と向き合う時間が十分でなく、状況を把握できていない可能性があります。こうしたデータを基に、適切な診療体制について常に検討し、柔軟に変更しています。

介護事業者と患者情報を共有。まずは顔の見える関係作りから

 介護との連携も、地域医療の重要な論点です。25年には団塊の世代がすべて75歳以上になり、認知症や慢性疾患により複合的なサポートを必要とする85歳以上が増えることが見込まれます。医療と介護が手を携えて、患者の暮らしを支えていかなければなりません。

 連携のカギとなるのが情報共有です。診療所では、介護や訪問看護などの事業所と、患者情報を共有するシステムを導入しています。共有するのは、許可が得られた患者の情報のみです。

 初めから連携がうまくいったわけではありません。デジタル機器に苦手意識を持つ人もいます。利用してもらう上で、単に押しつけるのではなく、まずはお互いに顔が見える関係を築くことを心がけました。地域医療に「医療DX(デジタルトランスフォーメーション)」を浸透させるには、地道な交流も重要だと実感しています。

 やまと在宅診療所の取り組みは一つの実践例であり、様々な在宅医療のあり方があると思います。各地で地域や業種などの垣根を乗り越え、実践例を積み重ねていくことが、地域医療の変革につながっていくと信じています。

 診療所を運営する傍ら、若手医師のキャリア形成の支援にも力を入れてきました。

 医師は、30歳代でキャリアの転換期を迎えます。国家試験に合格し、研修を経て専門医の資格を取るところまでは、割と明確なレールが敷かれています。しかし、その後のキャリアに悩む医師は少なくありません。激務に耐えきれず、燃え尽きてしまう人もいます。

 自分自身を振り返ると、東大病院の腫瘍外科にいた30歳代前半は、がむしゃらにがんの手術に取り組みました。自分の希望通りの配属でしたが、腫瘍を切除しても再発してしまった患者を目の前にすると、自身の無力さを感じました。理想と現実のギャップに、「自分はなんのために医師になったのか」と葛藤する日々でした。

 心の支えになったのが、人生の先輩たちでした。大学の先輩だけでなく、面識のない経営者や政治家の方にも連絡し会いに行きました。先輩たちは真剣に相談に乗ってくれて、「好きなことをやれ」とアドバイスをしてくれました。

 そんな経験から、恩返しの気持ちもあり、22年から若手医師を支援する「 NANIMONプロジェクト」を東大医学部出身の仲間と始めました。「何者になるかを問い直す」「人生でどんな門をくぐるのか」を組み合わせた造語です。30歳代の若手医師が対象で、40~50歳代のベテラン医師や研究者ら多彩な人がメンターになり、様々な相談に乗ります。

 参加の動機は「患者のための医療を実現したい」「起業したい」「診療所を開業したい」など様々です。我々メンターも若い世代から刺激を受け、多くの学びがあります。年代や業種の垣根を越えた交流が、医師の多様な働き方につながると考えています。

 日本の医療は世界から注目を集めています。少子高齢化は、やがて世界が直面する問題でもあるからです。在宅医療の実践例や「NANIMON」の研修内容を英訳するなど、日本から世界に発信し、世界中の医療者とより良い医療のあり方を議論したいと思っています。

引用元:読売新聞オンライン

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