総務省の支援事業

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労働

IT人材を北の地へ回帰推進・「サケモデル」に蓄積着々

北海道北見市

北海道北東部に位置する北見市は広大で、面積は東京23区が2つ入る1,427.41㎢、東西が箱根駅伝の片道とほぼ同じ距離の約110㎞に達します。「北見焼肉」と呼ばれる焼き肉が名物で、人口約10万9,000人(2025年4月)に対し約70店舗あるといいます。オホーツク海から北海道の内陸部に及ぶ豊かな自然環境に恵まれているものの、国際的な物流拠点のある道央の都市からは離れており、第2次産業が育ちにくいというハンデを抱えていました。長年にわたる経済的な課題を克服するために注目したのが、物流網に左右されにくい情報通信技術。「オホーツクバレー」という地域ビジョンを掲げ、どのような様々な施策を進めたのでしょうか。北見市産業立地労政課の前田泰志課長、市に協力してきた「株式会社ワイズスタッフ」代表取締役の田澤由利さん、IT人材として北見市へUターンし、情報通信技術を活用したサービスを提供する「株式会社アイエンター(アイエンター)」の平田洸介さんに聞きました。

北見市のカーリング場の写真
北見市はカーリングの盛んな町としても有名(北見市提供)

北見市のこれまでの取り組みを教えてください。

前田さん 北見市は女満別空港からバスで40分と首都圏とのアクセスが良く、国立大学法人の北見工業大学(北見工大)が立地するため理系人材も豊富です。地震の発生確率は全国最小の水準とされ、オフィスの賃料も東京都内の3分1程度と安い。これらのメリットを生かして首都圏のIT企業誘致を進めており、2013年から企業訪問や学生とのマッチングイベント、セミナーなどを重ねてきました。

北見市産業立地労政課の前田泰志課長の写真
北見市産業立地労政課の前田泰志課長

ただ、こうした活動の中で、誘致したとしても、IT人材を北見で育てられないという課題が浮上しました。北見工大の若年層は、雇用環境が整う首都圏や札幌市といった市外に流出する現実もありました。そこで考えたのが北見工大と連携した人材回帰の枠組み「サケモデル」です。インターンや共同研究で北見工大と関わった首都圏のIT企業に、将来的に北見に戻る意欲がある学生をまずは採用してもらいます。就職後にそこで何年かスキルを磨き、サケの遡上のように地元に戻ってIT人材として働くというモデルです。

こうした枠組みも、首都圏の企業にとってメリットがなければ実現は難しい。模索していたところ、田澤さんとの話し合いで、「IT産業の誘致は、テレワークが有効だよね」という結論になりました。2015年に総務省の地方創生施策である「ふるさとテレワーク推進のための地域実証事業」があり、北見市と北海道斜里町が連携して提案した「北海道オホーツクふるさとテレワーク推進事業」が採択されました。その枠組みに基づき、アイエンターなど首都圏の9社延べ180人に北見市のワーキングスペースでテレワークをしてもらいました。

その結果、9社のうちアイエンターや「株式会社Zooops Japan(ズープスジャパン)」、「株式会社要(かなめ)」の3社が北見にサテライトオフィスを開設しました。サケモデルでのIT人材の先駆者が「第23回オリンピック冬季競技大会(2018/韓国・平昌)」男子カーリング日本代表・北見工大出身の平田さんで、ほかに6人がUターンなどで働いています。

サケモデルの図版
北見市が推進するIT人材確保の取り組み(北見市の資料から抜粋)

テレワーク普及に早くから取り組んだ理由は何ですか。

田澤さん きっかけは長女の出産でした。当時は大手電機メーカーに勤めていましたが、今とは雇用環境が異なり、毎日通勤できなくなるという理由で会社を辞めざるを得なかったのです。1991年ごろでしょうか。

田澤由利さんの顔写真
テレワークの普及に尽力してきた田澤由利さんは座談会にオンラインで参加

働きたいのに働けない。これを克服する方法として自宅で働くことを想定し、フリーライターになりました。夫が転勤しても子育てと仕事を両立でき、「この働き方は絶対に必要」という確信を持ちました。1998年に夫の転勤で北見市に移り、テレワークができる社会にしたいと起業しました。

「毎日が楽しい。のびのびと子育てできる。こんな良いところがあるんだ」と実感しながら仕事をしていました。ただ、周りからすると、「田澤は北見で何かやっているけど、よく分からない」状態でしたね。当初は経営面で苦労する中でも北見市さんはテレワークの普及に協力的で、色々と相談できました。大好きな北見市さんのためにテレワークで役立ちたいという気持ちが強かった。そうした中で、総務省の「ふるさとテレワーク推進のための地域実証事業」が始まり、「これだ!」と直感しました。地域の経済活性化には企業誘致が重要だが、なかなか来てくれない。テレワークを組み合わせれば、地域に人を呼び込めるという、この推進事業の目標にかなうと思ったのです。北見市さんに説明したところ、これまで相談してきた当時の担当者の方が「田澤さん、やっと一緒に仕事ができますね」と。すごくうれしかった。そこから10年、ずっと北見市さんとテレワークの普及に関する仕事をしています。

留意したのが、単なる企業誘致でなく新たな形の「人材誘致」という考え方です。北見市に無職で帰ってきて起業するのではなく、仕事を持ったままテレワークで働くには、企業の理解やメリットが必要です。それがないとテレワークが継続できず、北見市から離れてしまいます。企業誘致と人材誘致が市、人材、企業全てにメリットをもたらすようにしました。

Uターンしたきっかけと、その後の主な取り組みを教えてください。

サケモデル第1号のアイエンター・平田洸介さんの写真
サケモデル第1号のアイエンター・平田洸介さん

平田さん 5歳から北見市で暮らし、北見工大院を修了した後の2017年からアイエンターで働いています。大学で市や企業の皆さんと会い、地域課題や社会人としてスキルをどう地域に還元できるかを考える過程で、北見市への思いを強めました。

サケモデルの第1号として北見市でテレワークしようと決めた理由は、やりたいことをかなえるためです。アイエンターに入社した当時、五輪のカーリングチームは長野県の軽井沢が拠点でした。早朝に新幹線に乗って満員電車にもまれて東京・渋谷にあるオフィスに着き、仕事が終わったら軽井沢に戻って練習という毎日。この先も続けられるか、不安がありました。そこで、北見市のサテライトオフィスに移って働くことで、仕事と練習を両立させることにしました。

アイエンターとしての成果の一つであるカーリング選手の姿勢推定システムには、選手としての目線を落とし込みました。これまでは自分のフォームに対し、客観的に分析する術がありませんでした。そこで姿勢推定システムの構築が浮上しました。弊社としても推理モデリングの技術を得たばかりだったので、適した実証実験ができるということで、「やってみよう」となりました。一つのレーンにカメラを左右2か所に設置し、フォームを撮影します。それを3Dでモデリングし、どの骨格がどういう角度、形状をしているかを解析できます。これにより世界のトップ選手と自分のフォームを照らし合わせることも可能です。選手の育成や自分の振り返りに活用し、国内レベルの底上げにつなげられたらと思います。

今後の経済活性化ビジョンをどう描いていますか。

前田さん ICT産業創出推進事業では、2019年度から2021年度は国の地方創生交付金で各年度1,000万円、2021年度のテレワーク拠点の施設整備では国費で4,500万円、施設整備に関連する費用として市の単費で約1,200万円をそれぞれ拠出しました。

主な成果では、サテライトオフィスを開設した3社のうち株式会社要は、北見工大との共同研究により路面の凹凸を可視化するアプリケーションを開発しました。アイエンターも北見工大と共同研究し、カーリングの姿勢推定システムのほか、市役所窓口を自動化するRPA(Robotic Process Automation)に関する実証をしました。

田澤さんとは現在、これまでのテレワークの取り組みをベースにした「二地域居住」を進めています。例えば北見市以外に住む人が定期的な滞在のために北見市に居所を持つことです。空いた家やオフィスを活用し、都市部の企業、個人、家族が長期滞在できる環境を整えています。

北見市が目指す二地域居住のイメージ図
北見市が目指す二地域居住のイメージ(北見市資料から抜粋)

田澤さん コロナ禍でテレワークが移住の契機になると注目された時期、サテライトオフィスなど「箱モノ」の開設が相次ぎました。ただし、箱モノの開設だけでは人は集まりません。受け入れ態勢の整備や企業ニーズに合った設備にすることが課題です。かつてのテレワークは大きなモニターを通じて遠隔地と会議するというイメージが多かった。それがコロナ禍により、一人ひとりがオンラインで参加する世界が一般的になりました。ウェブ会議ができる個室のニーズが高まったのです。企業がテレワーク制度を活用して人材を維持するには、いつもと同じ仕事ができる机や椅子といったオフィス什器(じゅうき)や、長期滞在できる施設を充実させる必要があります。

北見市の取り組みはその点で先駆的だと思います。通常なら担当の職員が変わればしぼんでしまうところを、10年間続けている。テレワークにしっかり向き合い、施策を積み重ねたからこそ、企業が誘致され、テレワークをするための施設をしっかり充実させているのです。

テレワークの意義を改めてどう考えますか。

平田さん 私を含めた冬季スポーツの選手は雪山など環境がないと練習が難しい。都市部で仕事を一生懸命やりたいのに難しく、どちらも中途半端になるか、競技をあきらめる選手がとても多い。親の介護で仕事をやめる人もいるでしょう。私は今、テレワークで競技と仕事を両立できる環境にあります。地元に戻っても本来の仕事ができるテレワークにより、夢をかなえられる人は多いと思っています。

前田さん 自分がどう生きたいか、を実現する手段の一つがテレワークと思います。政策目的のためだけでなく、地域に何ができるかを田澤さんやアイエンターをはじめ企業の皆さんと一緒に考えてきました。

ただ、北見市全体で見ると、デジタル技術の活用で地域を変えようという機運は決して高いとは言い切れない。人材育成事業をはじめ小さい積み重ねによって地域にそうした機運が醸成されるので、今後も立地環境としての本市の魅力向上に向けて施策を着実に続けたいと思っています。