総務省の支援事業
人口約200万人の札幌市は、面積約1,121㎢と、政令指定都市3位の広さがあり、都市機能だけでなく豊かな自然にも恵まれる観光都市です。一方、少子高齢化や人口減少をはじめとする社会情勢の変化などを受け、市は重点施策の一つとして、障がいの有無や性別、年齢などを問わずに快適に暮らせる「共生社会」の実現に注力してきました。行政だけでなく、民間の企業・団体の知見を生かした実効性の高い施策の実施に向けて試行錯誤しており、その一つが「Universal MaaS(ユニバーサル・マース)」です。

車いす体験で気づく街の障壁、「WheeLog!」に反映
「一人では段差を超えられない」
2023年9月8日、札幌市内を巡る「街歩きイベント」が実施されました。札幌市と民間のANAグループ各社の主催で、総務省の地域情報化アドバイザーである織田友理子さんが代表理事を務める「一般社団法人WheeLog(ウィーログ)」が協力。ウィーログは情報通信を活用するバリアフリーアプリケーション(アプリ)を手がけています。札幌市内や近隣市町村のほか、旭川市、東北地方などから約60人が参加。午前から夕方にかけて、札幌市中心部から観光スポットや郊外部の商店街などに向け、公共交通機関を利用しながら車いすで街歩きをしました。
屋内の車いす体験にとどまらない、長時間にわたる実際の車いすユーザーと同様の街中移動により、健常者に通常の生活では気付かない障壁(バリア)を実感してもらうイベントです。札幌市は広々とした道が多いため、他の大都市に比べて車いすで移動しやすいイメージがあります。ですが、実際は横断歩道を渡りきった後に待ち構える段差や、道路側に傾く歩道といった多くのバリアがあったのです。参加者は車いすの移動ログを含むバリアフリー情報を収集し、「みんなでつくるバリアフリーマップ WheeLog!」のアプリに反映させました。
札幌市、深刻な少子高齢化で「移動のしやすさ」課題
札幌市がバリアフリーなど全ての人が暮らしやすい共生社会の実現に向けたまちづくりに注力する理由の一つに、政令市の中でも顕著な高齢化があります。国勢調査に基づく市の将来推計人口(2022年推計)によると、65歳以上の高齢者が人口に占める割合は、2020年に27.8%だったのが、2040年に36.2%、2060年には40.8%に達すると予想されています。少子化も深刻で、市の「第3期さっぽろ未来創生プラン」では、2023年の合計特殊出生率は0.96と過去最低になり、東京都区部と政令指定都市20市の中で低い水準にあります。
少子高齢化が進展する中では、将来的に加齢に伴って移動に困難を抱える市民の割合が多くなり得る状況にあると言えます。つまり、ユニバーサル・マースやバリアフリーマップによる取り組みで得られた知見が役に立つ日が来るのです。障がいや高齢など、何らかの理由により移動にためらいのある人たちの現時点での課題・バリアは多くの市民にとっても「人ごとの課題」ではなくなっていくのです。
ANAグループ「ユニバーサル・マース」の提案
このような危機感が札幌市を共生社会づくりへと動かしています。具体的には年齢、性別、国籍、民族、障がいの有無などを問わず「誰もが互いにその個性や能力を認め合い、多様性が強みとなる社会」の実現を目指してきました。
ただ、これまで作成した独自のバリアフリーマップは、情報が公共施設や一部の民間施設にとどまっていました。情報のアップデートも掲載済みの施設が中心で、多くの車いすユーザーたちは利用の可否などを行きたい場所に事前確認せざるを得ない状況にありました。「情報の鮮度」や「点と点を結ぶ線の情報」をどう充実させ、どう利用しやすくさせるか。市ユニバーサル推進室の三浦雄平推進担当係長は「ソフト面の対応は行政だけでは不十分であり、民間の知見が必要だった」と振り返ります。
こうした中、ANAグループからユニバーサル・マースというコンセプトを基にしたサービスの提案を受けます。これは、障がいのある人たちをはじめ多様な人々が利用しやすいよう生活環境を設計するユニバーサルデザインと、様々な交通手段による移動を切れ目なく繋ぐ「MaaS(Mobility as a Service)」を組み合わせた造語。障がいや加齢など、何らかの理由により移動にためらいのある人たち、いわゆる「移動躊躇(ちゅうちょ)層」が快適にストレスなく移動できるサービスの実現を産学官の垣根を超えて目指すプロジェクトです。
同プロジェクトはANAグループ主体で2019年に正式に発足しました。トイレやスロープといった地方公共団体が持つ公式のバリアフリー情報と、車いすユーザーがWheeLog!アプリを通じて収集したユーザー目線の情報を、ユニバーサル・マースのサービスの一つである「ユニバーサル地図/ナビ」にシステム(API)連携して提供してきました。このユニバーサル地図/ナビにはバリアフリー関連を中心に様々な情報がアイコンで示され、移動したい区間のルートがカーナビのように示されます。ICT(情報通信技術)を通じてユーザーにも地図作りにリアルタイムで参加してもらう点が特徴です。プロジェクトを率いる「全日本空輸株式会社(ANA)」の大澤信陽さんは「障がいのある方々が利用しやすいよう工夫された移動サービスは全国に多くあります。一方、道中で他人に迷惑をかけたくない、嫌な思いをしたくない、という理由で移動をためらっている方々が一定数いらっしゃいます。ドア・ツー・ドアの移動を誰もがあきらめずに楽しんで行える世界を目指しています」と語ります。

共生社会へ組織の枠を超えた態勢作り
ANAグループの説明を受けた札幌市は2022年度、課題を解決する手段としてユニバーサル・マースに参画。バリアフリー情報の収集・提供だけでなく、車いすユーザーたちが異なる事業者間のサポート依頼を一括で行える仕組みづくりに向けて、市内の各機関と調整しています。冒頭の街歩きイベントはこのプロジェクトの一環として実施されました。

共生社会の実現は、少子高齢化社会など多くの課題が複雑に絡み合う市の未来に不可欠なものとして、秋元克広市長のリーダーシップの下で組織の枠組みを超えた取り組みが進められています。2023年4月に推進組織としてユニバーサル推進室が設置され、2024年6月には具体的な施策・事業を示す「ユニバーサル展開プログラム」が策定されました。さらに翌2025年、「札幌市誰もがつながり合う共生のまちづくり条例」を制定。市・市民・事業者の連携、協働に向けた枠組みができました。関連予算として2025年度は1,500万円を確保しています。
ユニバーサル・マース事業の中で課題も見えてきました。ユニバーサル推進室の菊地佑輔推進担当係員は「ユニバーサル地図/ナビへの情報提供はまだまだ伸び悩んでいます。POP(ポップ)の設置など市民への周知を模索しています」と話します。札幌市が2021年度に市民に実施したまちづくりの基本目標に関する「今後の重要度」のアンケートでは、「地域において、子どもから高齢者までの多世代間の交流が活発である」が全66項目中、65位でした。市としても市民の地域意識の希薄化を危惧しています。三浦さんは真の共生社会の実現に向けて、「ハード面のバリアフリーの充実だけではなく、多様な人々が自分事として認識して共に助け合う『心のバリアフリー』を一段と浸透させる必要がある」と指摘しました。
最新情報や詳細データ反映にDXは不可欠
車いす街歩きに先立ち、ウィーログ代表理事の織田さんとANAの大澤さん、秋元市長が登壇したトークイベントが実施されました。織田さんは体幹から遠い足首や指先から筋肉が萎縮する難病「遠位型ミオパチー」の車いすユーザーです。イベントでは、地域情報化アドバイザーとして、情報のバリアフリー及び公共のバスから乗車拒否を受けた経験や「心のバリアフリー」の重要性などについて講演しました。

織田さんは札幌市の取り組みについて「ユニバーサル推進室を創設し、車いす街歩きでバリアを実体験してもらうイベントも開催しました。DXを活用して移動困難な人にも(札幌市のような観光地の)旅行などを楽しんでもらおうという意識、意気込みが高い。うれしかったです」と歓迎しました。
近年はバリアフリーやユニバーサルデザインに関する認知度が高まっていますが、織田さんは「マップをはじめ地方公共団体が作成するものは、紙や電子文書が中心で、DXを活用する動きはなかなか進んでいない」と指摘します。例えば、「車いす用のエレベーター」が地図上に示されていたとしても、サイズや備品など具体的な仕様は明確ではない点です。また、せっかくバリアフリー対応の設備が新たに設置されても、紙や電子文書にリアルタイムで反映するのは地方公共団体担当者側の負担もあり、難しいという課題がありました。
織田さんが「みんなでつくる」アプリを運営するのは、こうした事情があります。織田さんは「障がいの状況は人によって異なります。きめ細かく対応するためには、豊富なデータを柔軟に反映できるDXは絶対に必要です」と強調しています。