総務省の支援事業
兵庫県のほぼ中央に位置する加東市は、かつて、大阪・神戸方面からの日帰り客でにぎわう行楽地でした。しかし、有力な観光資源を持つ県内の他の地方公共団体との誘客競争が激化し、近年観光入り込み者数は、低迷していました。観光業の再生に向けて市が着目したのが、今回紹介するICTを活用した謎解き観光プロジェクト「宿泊周遊型マーダーミステリー」です。2023年度に総務省の「地域情報化アドバイザー派遣制度」を活用したことがこのプロジェクト誕生のきっかけになっています。地域情報化アドバイザーである「株式会社イマーシブ・ラボ」(東京都渋谷区)の細川哲星社長のアドバイスをもとに翌24年度に実証実験としてイベントを催し、成果を得ました。プロジェクトや地域情報化アドバイザーとして細川さんが果たした役割について、加東市産業振興部商工観光課の竹内誠彦副課長と細川さんに聞きました。

地域情報化アドバイザーの派遣を申請したきっかけを教えてください。
竹内さん 加東市にある風光明媚なダム湖・東条湖は1960~70年代、大阪や神戸からの日帰り団体旅行の訪問先の一つとして知られ、湖周辺には土産物店や飲食店が並んでいましたが、その後、モータリゼーションによるマイカー旅行が普及したことで、客足は次第に遠のきました。今も大型レジャー施設の「東条湖おもちゃ王国」、ゴルフ場、国宝の朝光寺本堂をはじめとする多くの寺社仏閣があるものの、ほかと差別化できるほどの宿泊・商業施設や温泉地がないことから、行楽先としての認知度が相対的に下がっていました。

大阪から車で約1時間30分、神戸から約1時間と近いこともあって、2023年度は観光での年間入り込み者総数が約330万人と少なくはない一方、市内での宿泊者は総数の5%弱の約14万4,000人と低い水準です。日帰り行楽客を含めて市内での滞在時間の短さが課題となっており、宿泊や飲食、物販といった地域経済に波及効果をもたらす市内周遊型の観光プロジェクトを探していました。そのような中で、ICTを活用する体験型企画を紹介してくれたのが、細川さんでした。市は観光を通じた交流人口の増加を目指しており、新たな客層を取り込むきっかけになるのではと考え、プロジェクトの検討のために、地域情報化アドバイザーとして、細川さんを派遣してもらうよう申請しました。

細川さん 私は学生時代、加東市の東隣にある兵庫県三田市内の大学に通っていました。その頃から交通アクセスがよくて自然豊かな加東市に、行楽地としての潜在力を感じていました。私がプロデュースしているマーダーミステリーを宿泊周遊型のイベントとして実施すれば地域活性化のお役に立てるのでは、と考えたのです。ICTを活用することで、新たな観光施策として進めていき、さらなる付加価値を与えられるとも思いました。
滞在時間を延ばし観光客を増やすため、どのような取り組みをされましたか。
細川さん マーダーミステリーは、参加者が物語の登場人物になり、ある地域を舞台に謎解きや与えられたミッションをやり遂げるという新しい体験モデルで、実体験としてリアルに楽しめることから「イマーシブ(没入型)エンターテインメント」と呼ばれています。欧米や中国で人気が高まりつつある一方、国内ではあまり知られていません。そこでまず、市や市観光協会の担当者のほか、ホテル、レジャー施設などの観光事業者を対象に体験会を開きました。その後も、オンライン会議を含めて話し合いを重ね、「官民一体で取り組もう」と、皆さんが前向きに受け止めてくれるようになりました。

竹内さん 加東市の観光面でのもう一つの課題は、冬の集客です。レジャー施設などがにぎわう春から秋の繁忙期と比べると、約2割減ります。細川さんの提案を冬の観光イベントとして定着させることができれば、閑散期対策になると思いました。集客効果は未知数でしたが、観光事業者の皆さんと共に挑むことを決めました。市はこれまで、観光DXに積極的に取り組んでおり、2021年3月にはAR(拡張現実)を用いたトリックアートで遊べる美術館「加東アート館」を開館しました。2023年度の地域情報化アドバイザー派遣の成果を受けて、今度は翌24年度に総務省の「地域力創造アドバイザー」として細川さんと派遣契約を結び、プロジェクトを本格始動させました。
新たなDXプロジェクトについて詳しく聞かせてください。
細川さん まず、ミステリーの舞台を市東部の観光拠点である東条湖おもちゃ王国と「ホテルグリーンプラザ東条湖」に定め、プロのシナリオライターらと一緒に「ここにしかない世界観」を練り上げました。タイトルは「夢の中の殺人」。―――ある犯行予告からの殺人事件を阻止するため参加者たちが加東市に集まり、探偵と助手の2人1組で地域を歩いて巡りながら謎を解き明かす――という筋立てです。1泊2日の旅程で、参加者たちは隠されたヒントを見つけて謎解きをし、それぞれの結末を迎えます。地元の製菓店が提供するおやつが登場するという仕掛けも盛り込みました。
竹内さん マーダーミステリーは現実社会が舞台のため、物語の場面転換ごとにガイド役の演者たちを配置するなど、ある程度のマンパワーが必要です。しかし、加東市は財政面から人材を集めることが難しく、代わりにスマートフォン(スマホ)のアプリケーション「LINE(ライン)」のチャットボットを物語のガイド役にしました。イベント運営側でキーワードやヒントをあらかじめ設定。参加者が自分のスマホで発信するとチャットボットからすぐに返信が来ます。そこで指定されたポイントに行けばヒントとなる二次元コードが見つかるなど、参加者がリアルタイムで手掛かりを得られるようにしました。細川さんたちと話し合いを重ね、表現や言い回しをはじめとしてチャットボットのプログラムを実施直前までしっかり作りこみました。さらにプロの演者1人が全体の進行役を務めてくれたことで物語の厚みが増し、完成度の高い企画に仕上がったと思います。
プロジェクトを進めるうえで工夫したことは何ですか。
竹内さん イベント実施は2025年2月でした。実証実験プロジェクトとの位置付けで、夕朝食付きの参加・宿泊費を2万8,000円に設定し、前年秋に参加者を募集しました。告知方法もアドバイザーの提案を受け、市の広報誌や市政ホームページではなく、関心の高い人々が集う大阪府高槻市内のボードゲーム店を中心にポスターを掲げ、チラシも置きました。インターネット上のコミュニティーにも着目し、SNSで発信力のあるインフルエンサーたちに情報を提供しました。口コミで話題となり、旧来の手法とは異なり、潜在的なファン層にピンポイントでアプローチする広報に手ごたえを感じました。
関西エリアや岡山、愛媛といった中・四国地方から募集枠いっぱいの計26人が参加してくれました。主に30~40歳代の男女で、レトロな和装やシャーロック・ホームズ風の探偵姿など、思い思いの服装で物語の世界を満喫していました。また、ホテル5階の客室フロアを貸し切り、感想を語り合う場として提供したことで、参加者たちの一体感が生まれました。

地域情報化アドバイザー派遣制度をきっかけに、プロジェクト始動から1年足らずで実証実験に導いたのですね。
細川さん 短期間で成果を得ることができたのは、皆さんが前向きに一丸となって取り組めた点が大きかったです。それに加え、ガイド役の演者たちを配置するのではなく、チャットボットを物語のガイド役にするという意味でのDXによって、運営の省力化となったことがカギになりました。企画、広報、設営を市と市観光協会側が担い、観光事業者のみなさんに人的負担をかけないことで、初めての取り組みに対する心理的なハードルを下げ、「自分たちのやり方で取り組める」と思えてもらえたのではないでしょうか。ホテル支配人からは「よかった。ぜひもう一度やってほしい」とお声がけいただきました。さらにバージョンアップして引き続き開催できればいいですね。
竹内さん 数十回にわたり足を運んでくれた細川さんに、細かな助言をいただいたことを感謝しています。イベント会場設営などで尽力いただいた市観光協会との両輪になってくれました。市でノウハウを受け継ぎ、2025年度の事業実施を決めました。さらに続けるための課題も、実証実験を通じて見つかりました。その一つが、周遊エリアをどう広げるかです。今回は参加者が歩いて回れる範囲でしたが、市内を広く巡るイベントに発展させるには、公共交通機関の利用が欠かせません。現在の路線バスのルートや本数だと対応が難しいので、例えば市内をいくつかのエリアに分け、それぞれに物語を設定したり専用の交通手段を準備したりと、工夫が必要になりそうです。物販では、参加者の昼食として仕出し弁当を用意するなど利便性を高める案が出ています。リピーターに向けた第2弾、第3弾となる新たなシナリオや、参加者枠の拡大も検討材料です。
実証実験では謎解きの途中、参加者の多くが自撮りした画像をSNSに続々と投稿しました。思わぬPR効果で、観光地としての加東市の認知度向上につながりそうです。まちの魅力をさらにアピールしてもらえるよう、プロジェクトを充実させたいと思います。
