アカデミアのキーパーソンに聞くvol.1
慶應義塾大学 國領二郎教授×フリーアナウンサー 木佐彩子氏
フリーアナウンサーの木佐彩子さんが、地域社会でDXに取り組んでいるキーパーソンにインタビューする「彩子が聞く!地域社会DX」。第5回のゲストは、デジタル技術の応用について詳しい、慶應義塾大学総合政策学部の國領二郎教授(専門は経営情報システム)です。
情報発信環境が一変
木佐 國領先生は、インターネットを含むデジタル技術と社会や経済の関係について、長年第一線で研究をされてきました。デジタル技術の進化が社会にどんな影響を与えたと思われますか?
國領 まず、私自身のデジタル技術との出会いについて話しますと、大学の学部生だった1980年代に、米国でインターンシップを経験しました。モービルという大きな石油会社で働き、ビジネスの最先端を肌で感じました。まだパソコン通信も一般的ではなかった時代です。そのころから、ネットワークとコンピューターがつながると何かすごいことが起こるという予感がしていました。それから40年余りこの分野にかかわり続けていますが、次々と新しいことが出てきて、実際にビジネスに携わっている人は本当に大変でしょうが、私は飽きることなくずっと楽しく研究しています。
木佐 そうした中で、先生が考える最も大きなインパクトは何だったと考えますか?
國領 端的に言うと、エンドポイントからの情報発信が容易になった、ということでしょうね。以前は、情報はテレビ局やラジオ局などのマスメディアが、一方向的に不特定多数に向けて発信するものでした。それが今では、スマートフォン(スマホ)で撮った写真を誰もが簡単にインターネットに載せることができます。ありとあらゆるエンドポイントから情報を世界に流すことができるのです。正確に言うと、末端をつなぐ電話は昔からありましたが、昔はコストがとても高かった。離れた地方と市外通話すると、通話料が数分で何百円もかかりました。今は世界のどこと話しても料金を気にしなくてよくなりました。エンドポイントからの不特定多数への情報発信や、エンドポイント同士のつながりなど、情報配信のコストが劇的に下がったのです。たとえば、手元のスマホで「ラーメン食べたい」などと言うと、位置情報から近所のラーメン屋をすぐに教えてくれます。フェイクニュースなど悪い面も現れていますが、良くも悪くもまるきり変わってしまったということです。
インターネットの生活への様々な影響
木佐 確かに、インターネット上にはいろいろな情報が数限りなくあって、何が正しくて何が間違っているのか、わかりにくくなっています。
國領 悪い面を減らすための技術やルールなどが議論されていますが、私は経営学者ですので、「インセンティブ※」を大事にしています。悪いことを減らすためには、悪いことをするのにかかるコストや手間を大きくすることが効果的です。やっても損だと思えば自然にブレーキがかかります。いま日本では、大きな問題が起こっています。それは、「日本語のバリア」が急激になくなりつつあることです。日本語という言語が住民たちの日常会話として使われている国は、世界で日本だけです。以前は翻訳などに大変なコストがかかっていましたから、それがある種の「障壁」となって日本が守られていた面があります。しかしながら、現在は自動翻訳の技術が劇的に良くなっています。そのため、日本の企業や個人が、海外から「この文書を明らかにするぞ」などと脅される恐れが高まっています。日本の企業や個人を守るためにも、「技術」「ルール」「インセンティブ」を組み合わせて良い方向に持って行くことが必要だと思います。
※インセンティブ・・・動機。報償や評価などで行動を促すこと。

木佐 日常の暮らしに目を向けたとき、デジタル技術で良くなったことには何があるでしょうか。
國領 今の若い世代は、生まれた時から携帯電話があったでしょうから、それがあまりに日常的で便利さを感じないかもしれません。たとえば女性をデートに誘う場合は、20~30年前までは自宅に電話をかけなくてはならなかった。母親や父親が出たらどうしようか、そんな風にドキドキしながら電話をかけたのです。でも今は、LINE(ライン)で軽く誘ってみるか、という感じで、真夜中でも複数の相手に対してでも送ってしまうことができます。携帯電話がなかった時代は、駅には必ず伝言板というものがあって、待ち合わせの相手と会えなかった時にはメモを書き残していました。こんな感じで、以前は手段が限られていたので、相手と連絡をとるだけでも大変でしたよね。今ではスマホのボタンひとつで、いつでも気軽に連絡がとれる。このように、気が付かないところでいろいろなことが便利になっています。
人手不足の深刻化がDXを加速
木佐 昨年、國領先生が座長を務められた、総務省の「活力ある地域社会の実現に向けた情報通信基盤と利活用の在り方に関する懇談会」で、今後の地域社会DXの方向性に関する報告書を公表しています。懇談会での議論を通して、近年の地域社会におけるDXについてどのように受け止められていますか?
國領 行政のDXに対する本気度が変わってきたな、と驚きました。どの地域でも少子高齢化が進んでいて、人手不足が深刻化しています。東京よりも地方の方がより切実で切迫感があるということなのでしょう。特に、農業や漁業分野で様々な取り組みが行われていることがわかりました。5、6台のトラクターを並べて、オペレーター1人で操作するとか、ドローンを使って農薬を散布するといった面白い事例が地方から実際に出てくるようになりました。
特に新型コロナウイルスの流行前と後では、産業や社会の状況ががらりと変わりました。どれだけ人を増やしたくても、雇うことができない状況が生まれています。たとえば地方で深刻化している問題の一つに、「運転代行業」の人手不足があります。お酒を飲んだ時などに車の運転を代行してもらうサービスですが、コロナ禍で廃業する業者がたくさん出て、今は運転手が集まらない状況です。積極的にドライバーを採用しようという案もあるのですが、例えば、小柄なドライバーなどが夜中に酔った大柄の乗客の対応をするのは体力的にも大変です。そこで、ITを使えば、様々な条件でマッチングが簡単に行えるようになります。このように、人手不足の解消は地域社会において喫緊の課題であり、DXはそのためにこそ必要になっています。

木佐 私は日本の食料自給率の低さがとても大きな問題だと実感しています。食料自給率を高めていくためには、農業や漁業に従事する方たちの収入が安定し、たくさんの人材が集まるようになることが大切ですね。もちろん消費者としては、少しでも安くて安心な食材を手に入れたいのですが。DXがそうした状況を改善する解決策につながってほしいと思っています。
國領 日本の場合は昔ながらの流通がなかなか変わっていなくて、生産現場と消費現場とでは大きな価格差があります。間に悪い人がいて儲けているわけではなく、ミスマッチがすごく多いのです。たとえばトラック輸送の場合、ドライバーが不足しているという課題だけでなく、高速道路の料金が安くなる夜間に限定して運ぶため、トラックの目的地である配送センターがなかなか空かず、トラックが待たされる時間がとても長いという実情があります。到着時間がきちんとわかるだけでも、物流は効率化することができます。同じ事が建設現場でも起きています。以前は現場にしわ寄せがいっていて、急場をしのいで何とか仕上げましたが、今は働き方改革にも配慮する必要があり、工期内で仕上げるには人手が足りません。すると工期が延び、コストも増えることになります。
「少子高齢化のフロントランナー」日本発のDXの可能性
木佐 いろんな所で課題があるのですね。しかし、状況が切迫している今だからこそ、逆にDXを進めるチャンスなのではないでしょうか。
國領 確かにその通りだと思います。ただ、あらゆる場面でシステム開発が必要なのですが、そのための人材も不足しています。今はまだ、AIにプログラムを書かせても大丈夫とは言いがたいのですが、AIがプログラミングをこなす時期は、思ったより早く来るかもしれません。そうすると、新たなシステム開発も進めることができますね。
日本にはいろいろな慣習やルールがあって、それが進化を妨げている面もあります。コロナ禍のときにそうでしたが、医療の現場では、情報のやりとりをファクスで行っていました。学校でも、都会の先生が地方の教室にリモート授業をする場合は、教育委員会のサーバーを経由していました。ただ、そうするとコストもたくさんかかってしまうのです。運転手がいない「自動運転タクシー」も米国や中国の一部地域など海外では実用化が進んでいますが、日本はこれからですよね。

木佐 既存のやり方が社会の実情に合わなくなってきているのに、変わらないままに運用され、DXの導入を難しくしている面がある、ということでしょうか。これからのニーズに合わせてやり方も変えていかないと、日本はどんどん世界から遅れていくことになりかねませんね。
國領 まさに「待ったなし」の状況です。日本は、少子高齢化や人口減については、深刻さにおいて世界のトップです。しかし、それは逆にフロントランナーであるともいえます。これから韓国や中国が日本の後に続いて少子高齢化が進んでいきます。そのための技術開発が進めば、無限にマーケットが広がる可能性があるのです。医療や福祉の問題、過疎問題にしても、地域社会でDXが推進されていけば、想像もつかないことができるようになるかもしれません。
木佐 ただ便利になる、ということだけではなく、障害のある方など、今までは社会の中で活躍の場が少なかった人々も、DXを推進することで、より多くの活躍の場を作ることもできるのではないでしょうか。DXによってユニバーサル化が、どんな地域、どんな場面でも進み、だれもが住みやすい、ウェルビーイングな社会になる。DXにはそんな可能性があるのだと思いました。

慶應義塾大学教授
國領 二郎
こくりょう じろう
1982年東京大学経済学部卒。日本電信電話公社入社。1992年ハーバード・ビジネス・スクール経営学博士。1993年慶應義塾大学大学院経営管理研究科助教授。2000年同教授。2003年同大学環境情報学部教授、2006年同大学総合政策学部教授(現在に至る)などを経て、2009年より2013年総合政策学部長。また、2005年より2009年までSFC研究所長、2013年より2021年5月まで慶應義塾常任理事を務める。 主な著書に「オープン・アーキテクチャ戦略」(ダイヤモンド社、1999)、 「ソーシャルな資本主義」(日本経済新聞社、2013年)、「サイバー文明論持ち寄り経済圏のガバナンス」(日経BP 日本経済新聞出版社、2022年)、「ソシオテクニカル経営人に優しいDXを目指して」(日経BP 日本経済新聞出版、2022年)など。 現在、総務省 情報通信審議会 情報通信政策部会において部会長を務めている。