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医療・福祉・健康

アカデミアのキーパーソンに聞くvol.2

東北大学大学院医学系研究科 神経・感覚器病態学講座 眼科学分野 松本拓朗 医師

高齢者らの眼を守る小型AI機器開発、訪問診療で疾患発見を

施設や在宅で介護を受けている国民は500万人を大幅に超えています。今や医療の中心は病院以外にもある状況の中、眼の健康維持も課題として浮上しています。例えば、眼科診療を行うには専門的な知見が必要にもかかわらず、施設や訪問診療に携わるのは必ずしも眼科の専門的な知見を有していない総合診療医が中心で、対応が十分ではないとの指摘があります。これを解決しようと、東北大学眼科はAIを駆使して検査から診断まで全自動で対応するポータブルデバイスの「ai Doctor(アイ・ドクター)」を開発。総務省と国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)が主催した2024年度の「起業家万博」に出場し、全国から選抜されたICTスタートアップ企業の中から、ビジネスとして先見性があるものとして賞を受けました。デバイスの仕組みや高齢化社会の課題解決にどう貢献するか、取り組んだ背景について、東北大大学院医学系研究科で眼科学分野を専門とする松本拓朗医師に聞きました。

起業家万博でプレゼンする松本医師の様子
デバイスを持って起業家万博でプレゼンする松本医師(NICT提供)

ai Doctorはどんなデバイスですか。

片手に持てるサイズで、重さは300gほどでしょうか。主な部品はGPU(画像処理装置)、オートフォーカスカメラ、光学系装置、光の角度を変化させるモーターです。診断のほか、インターネット環境がなくても画像をデバイス内で解析できます。

利用の流れは、訪問診療を担当する医師が施設などでデバイスを使い、患者の眼に細い光を10秒ほど当てて多くの画像を撮影します。デバイス内で必要なものだけを抽出して加工し、AIが角膜や虹彩、水晶体といった眼のパーツを色分けし、厚みをμm(マイクロ・メートル、1μmは1㎜の1,000分の1)単位で計測します。それによって緑内障や白内障、角膜疾患などをスクリーニングするのです。これらのデータを専門の眼科医にオンラインで送り、「すぐに眼科で診てもらった方がよい」などのアドバイスを受けながら診療を進めます。いずれはこのデバイスで、専門の眼科医による助言なしに現場の総合診療医だけで検査、異常の検出、診断までを完結させるようにしたいですね。

どのような問題意識で開発したのですか。

眼科の臨床医になって5年目になります。これまでの日々を振り返ると、高齢になるほど眼の疾患が多く、治療が必要であることを実感していました。視野が狭くなって視力が落ちる緑内障は高齢者になるほど多くなります。早期に発見して適切な治療を受ければ、視力が維持されるほか、転倒や認知症のリスクも低減するため、高齢化社会の課題解決に資すると思っています。

ただ、施設や訪問介護の中で、総合診療医が眼科診療することは負担が大きい。かといって、高齢の方が病院に赴き受診するには、通院、受け付け、検査、診察、薬の処方、会計、帰宅まで半日かかることもあり、これも負担が大きいです。そのため、命にかかわる疾患とは異なり、「眼科に行けないのはしょうがない」と受け止められがちです。

訪問診療における診断について課題を指摘する松本さんの写真
訪問診療における診断について課題を指摘する松本さん

専門性の問題もあります。施設や在宅では総合診療医が訪問して分野を問わず診療しますが、眼のことに特に詳しい方は多くはない。そもそも大学の養成課程で眼科を学ぶ機会は極めて限られています。6年間に及ぶ医学部での眼科の講義や国家試験の出題割合は、ごくわずかです。

訪問診療をする総合診療医など40人に対して行った勉強会の中でヒアリングをしたところ、8割以上が週1回の頻度で眼の診療に困ると回答しました。眼科は特殊な顕微鏡で診療しています。眼は球体なので、ピントを合わせるのが技術的に難しい。眼の病気に関する知見を顕微鏡の使用で生かせなければ、診療で見る必要がある部位が見えないこともあります。経験がないと使いこなせないため、総合診療医が的確な眼の診療をすることは簡単ではないのです。

これらの課題解決に向け、ai Doctorを開発しました。普及すれば、総合診療医による訪問診療の際に10分程度で眼科診療ができるようになります。眼科の専門医がそばにいなくても、緑内障や白内障といった眼の病気を早期に発見できます。

開発体制と資金について教えてください。

東北大学では、眼科学分野の中澤徹先生のほか、データサイエンスとAIアルゴリズム、デバイスと精密機器の専門家たちがチームを組んで研究開発をしています。仙台市や宮城県、東北の医療機器分野を中心とした地域企業の団体「TOLIC」といった外部の支援も受けています。また、東北地方などで訪問診療を展開する「医療法人社団やまと」や訪問専門の眼科と連携し、デバイスの現場での使用感など実地検証を重ねていきます。

東北大病院の外観の様子
医学部の入る東北大病院

今年から来年の活動資金は、東北地方や新潟県の大学が持つ技術シーズを事業に結びつけることを目的にした「みちのくGAPファンド」特別枠で受けた1,000万円、DX関連スタートアップの創出を目指している「Miyagi Pitch Contest(宮城ピッチコンテスト)2025」で1位を獲得した賞金1,000万円です。近く高齢者施設でデバイスを使い、サイズ、データの転送方法などをヒアリングして、使用感に関わる課題を抽出します。導入にあたっての課題感も現場によって異なると思うので、そこも見極めたい。デバイスのサービス面とビジネス面の双方を詰め、2026年3月には起業したいと思っています。

ビジネスとしてどう捉えていますか。

初期段階としては、デバイスの提供や診断といったシステムの利用料を訪問診療している医療機関に払っていただくことを想定しています。ヒアリングによると、年間20万~30万円が契約できる許容範囲とのことでした。

現状の訪問クリニックや訪問診療を考慮すると、AIを使った眼科医療のSOM(実際にアプローチできる市場規模)は年間60億~100億円になると試算しています。高齢化に伴う通院難について、過疎地域特有の課題と思われがちですが、そうではありません。施設や自宅から数百m離れた医療機関ですら「もう行けない」となり、訪問診療に移行した高齢の方も多い。東京都心部でも同様で、こうした「見えない僻地」も市場となります。一般内科や薬局にも広がれば、SAM(獲得しうる最大の市場規模)として300億~500億円に達すると予想します。

眼科医療の市場規模の図表
眼科医療の市場規模はポテンシャルを秘めている(起業家万博での松本医師のプレゼン資料から抜粋)

もっとも、市場として将来的なポテンシャルが高いのは、人口増加に伴う需要の高まりが見込める世界中の訪問診療です。日本と同様に「眼科はよくわからない」という課題が必ず出てくる。そこを狙えばビジネスを拡大する上でレバレッジがきくと思います。TAM(獲得できる可能性のある全体の市場規模)は数十兆円になるでしょう。まずは眼科を巡る課題が顕在化している日本国内でシステムをしっかりと作り込み、世界でマネタイズをしていきたいですね。

将来的に描いている展望を教えてください。

眼科診療がいつでも、どこでも受けられる世界にしたいです。デバイスを通じて様々なデータを蓄積すると共にAIモデルも鍛えていく。眼は透明なので外部から神経や細かい血管などが見える特殊な臓器です。将来は眼の病気だけでなく、脳や循環器系、呼吸器系といった全身の健康を把握できるようにしたいです。「眼の診療をしていると思いきや、心臓の病気を判定できた」のようなイメージですね。

松本医師の顔写真

東北大学大学院医学系研究科 神経・感覚器病態学講座 眼科学分野 医師

松本 拓朗

まつもと たくろう

1993年、栃木県矢板市出身。東北大学医学部医学科卒業後、東北大学眼科入局。学生時代に医者の仕事以外もやりたいと漠然と思っていたところ、留学先で知り合った同じ年代の若者がロボットを製作して大手鉄道トップと交渉し、実際にそのロボットが駅に配置されたことをきっかけに、新たなビジネスが世の中を大きく変えることを実感。起業に本腰を入れる。