【課題】高齢化で果樹栽培農家の人手不足などが深刻化
甲府盆地の東部に位置する山梨県山梨市は、市内を流れる笛吹川とその支流がもたらす肥沃な土壌を生かした果樹栽培を主要産業とする地方公共団体です。なだらかな斜面や平坦地に果樹園が広がり、ぶどうや桃、さくらんぼ、いちごなど様々なフルーツが一年中楽しめます。しかし、国内有数の果物産地であっても農家の高齢化は避けられず、農業経営者の高齢化率は2015年で64.1%となっており、重労働による体への負担や人手不足、後継者難による栽培技術の伝承危機などが年々、深刻な問題となっていました。これらに対処するためには、多様な担い手に農業に参画してもらう必要があり、市は、果樹栽培をより効率的で「儲かる農業」への転換を目指し、魅力を高める必要があると考えました。
【取り組み】LPWAとセンサー活用でスマート農業の基盤を形成
儲かる農業を実現していくためのカギの一つは、ICT(情報通信技術)を活用したスマート農業の推進にあります。そこで、山梨市では、市内全域を革新的な技術の研究・実証や事業創出の場とする「試験圃場」ととらえ、官民が連携してスマート農業の基盤形成に取り組む「アグリイノベーションLab」というプロジェクトを2017年に開始しました。まず、少ない消費電力で10kmを超える広域・遠距離通信を可能とする無線通信技術「LPWA」による通信網を整備。さらに、果樹園に気温や湿度などを測るセンサーや不審者の侵入を検知する可搬式の人感センサーを設置し、その情報を、LPWA通信網を通じて離れた場所から見える化することで、農作業の省力化やシャインマスカットのような高価な果物の盗難防止に取り組んでいます。
このプロジェクトは、山梨市、「フルーツ山梨農業協同組合(JAフルーツ山梨)」、「東日本電信電話株式会社(NTT東日本)」、バイオテクノロジーの専門知識がある「シナプテック株式会社」(山梨県甲府市)の4者によるコンソーシアムで実施しており、それぞれが農業のスマート化に必要な情報やノウハウを持ち寄り、推進する体制としています。
多角的活用を視野に市の予算で整備
具体的には、まず市が、LPWAの基地局を2017年から2021年にかけて、年間1~2か所のベースで、市庁舎など計6か所の公共施設に設置しました。費用は、国からの特定の補助金に頼ることなく、市の地方創生予算(年間数百万円)を充てました。プロジェクトで整備するLPWAの用途をスマート農業に限定せず、いずれ、高齢者の見守り用途など他の様々な課題解決にも多角的に活用しようという市独自の「ワンインフラ・マルチユース」構想を進めることで、予算への理解を得ました。
LPWAの保守運用や、果樹園に設置するセンサーの開発は、NTT東日本が担いました。温度や湿度、日射量などを検知する環境センサーと、土壌の水分量を測る土壌センサーの2種類があり、各データはLPWA経由でクラウド上に蓄積される仕組みです。これにより、農家は果樹園から離れた自宅などにいても、状況を把握できるようになりました。

フルーツの盗難防止用人感センサーも、同社が既存製品をもとに、JAフルーツ山梨や農家の要望を聞きながら開発しました。不審者の侵入を検知すると、農家に通知が届く仕組みです。設置場所が固定されない可搬式にするなどの工夫で、より高い防犯効果を狙いました。

【成果】20%の省力化を実現、盗難防止にも大きな効果
環境センサーと土壌センサーの活用では、シャインマスカット農家6~7軒の協力を得て実証実験を行いました。その結果、従来よりも果樹園に見回りに出向く回数が減るなど、20%程度の省力化が実現できました。また、ハウス内の温度が高すぎるといった異常も検知できるため、生育不良などによる経済的損失の防止にも効果があることがわかりました。実験で一定の成果が得られたので、市は、他の農家にもこれらセンサーの活用を呼び掛けています。
盗難防止用の可搬式人感センサーの実証実験は、10軒ほどの農家にセンサーを貸与し、果樹園に設置してもらって実施しました。実験がマスメディアで取り上げられたこともあり、結果的に盗難被害の抑止に大きな威力を発揮しました。他の農家も注目し、近年は自己負担でセンサーを購入・設置する農家が増えています。市内での盗難被害は地元新聞報道ベースでは盗難件数0件(2021年時点)と目に見えて減っており、センサーを設置した農家から「ゆっくり休めるようになった」といった声が寄せられるなど、農家の精神的負担の軽減にもつながっています。
また、農業用に整備を開始した通信設備についても、「ワンインフラ・マルチユース」構想に基づいて、福祉分野で高齢者の見守りに、防災分野で河川水位の監視にと、それぞれ活用を図るなど、他分野への展開も進み始めています。
福祉分野 | <高齢者の見守り> センサーを身に付けた高齢者が自宅等を出入りした際にその旨を遠方に住む家族にメールで通知。自宅には温度や照度等の環境情報を取得できるマルチセンサーを設置し宅内の異常検知時に家族に通知する仕組み。 |
防災分野 | <河川水位の監視> 市が管理する河川の水位変化を監視し、公開している。河川をまたぐ道路部分に設置したセンサーから水面までの距離の変化状況を表示しているもの。 |

【推進体制】4者コンソーシアムで「スモールスタート」
プロジェクトを始めるにあたっては、山梨市のDX推進などを担う総合政策課を中心に、JAフルーツ山梨、NTT東日本、シナプテック株式会社の主に4者で取り組んでいます。立ち上げから2年間は特に綿密なコミュニケーションを心掛け、ミーティングを月1~2回のペースで重ねました。そうしたなかで、「市が抱える課題に対して有効な施策を打ち出す」というプロジェクトのベースとなる意識も共有していきました。こうした問題意識や目標の共有が、盗難防止効果を高める可搬式の人感センサー開発など農家の悩みに寄り添った、実際に役立つ技術の導入につながったといいます。

また、市の予算にも限りがありICTも日進月歩であることから、まず少数の農家と実証実験を行い、成果を確認しながら事業の拡大・縮小を判断する形をとりました。最初から決め打ちで大規模に投資するのではなく、スモールスタートでまず実績を作り、予算内で少しずつ通信基地局やセンサーを増加。実践することで初めて見えてきた課題にも、その都度対応し改善しながら、適切に発展させていくことを狙いました。
また山梨市が重視している、事業者に丸投げにせず、地に足を付けて取り組む体制も、プロジェクトの推進に効果を発揮しています。庁舎内で議論するだけでなく、課題が生じている現場に職員が出向いて実際に手を動かし、その経験を議論にフィードバックさせるのです。例えば、LPWA基地局について、周辺の木々の成長度合いによって電波の送受信に影響が出ることが現地に出向いて初めてわかり、そうした状況を踏まえて費用対効果を最大にできるような設置場所の選定につながりました。
【展望】新たな規格の通信網を構築、課題解決に向け挑戦を続ける
通信インフラを多様な地域課題の解決にさらに活用するため、山梨市は、新たな通信規格「Wi-Fi HaLow」を使った通信網の構築を進めています。データ容量が多いものでもより遠くまで伝達でき、動画などの送信にも使えるなど用途が広がることが期待されます。
山梨市でのDX活用はまだ「黎明期」ですが、市は「行政も市民も事業者も、いろいろな分野で挑戦を進め、経験を共有していくことが重要。そうした実績を踏まえ、今後はDX推進の担い手を行政全体、地域全体に広げ、様々な課題に活用していきたい」としています。
本事例のポイント
1. 地域社会DXの取り組み経緯と主な対象分野 | ・市内における農業従事者の高齢化は進み、農業における「農作業の負担」「労働力不足」及び「技術継承の危機」などの課題が年々深刻化。 ・これらの諸課題に対処するために、果樹栽培をより効率的で儲かる農業へと転換、魅力を高める必要がある。 |
2. 基本的な位置づけ・考え方 | ・効率的で儲かる農業への転換を目指し、情報通信網というインフラを様々な分野の課題解決に利用していくワンインフラ・マルチユース構想を基本的な考え方とした。 ・具体的には、この構想に基づいて、農業用に整備を開始した通信設備を、福祉分野での高齢者の見守りや防災分野での河川水位の監視など、インフラの多角的利用を目指した。 |
3. 推進体制 その1.行政内部の体制 | ・総合政策課の企画政策担当が、全庁的なDX推進を担う総合政策課DX推進担当と連携しつつ牽引。 ・地域の課題解決に繋げるため、役所のなかで考えるよりも、現場で実際に手を動かしながら考えていくアプローチを重視し、事業者に丸投げにせず、地に足を付けて取り組む体制を構築。 |
4. 推進体制 その2.住民・企業・大学などとの連携体制 | ・DXで儲かる農業への転換を目指す官民連携組織、アグリイノベーションLabを設立。官民連携で多様な専門知を結集。特に立ち上げ期は緻密なコミュニケーションを図るため月1~2回のミーティングを重ねながら方向性を議論。 ・「山梨市の現場の課題に対して有効な施策を展開すること」を市から参画企業へ求め、そのために各社が出来ることを持ち寄る進め方を採った。 |
5. 個別プロジェクトの計画策定 | ・予算の制約もあり、儲かる農業への転換を目指すという大きな方向性を明確に示しつつ、足もとではスモールスタートで実績を創り、併せて、実践を通じて見えてくる課題を改善し、適切な方向に拡大発展させていくことを重視した。 |
6. 個別プロジェクトの進め方 | ・山梨市が広範囲で自営の情報通信網(LPWA)を整備運用し、農業IoT機器の開発においては、NTT東日本がJAフルーツ山梨や農家のニーズを探りながら進めた。 |
7. 個別プロジェクトの評価と継続発展 | ・LPWAを農業分野のみならず、河川水位の監視や高齢者の見守りなどへの活用も進めてきたが、新たな通信規格を活用した自営通信網の構築を図り、地域課題の解決に向けたさらなる運用を図ろうとしている。 |
地域のプロフィル
人口: 32,616人(2025年3月1日現在)、面積は289.8㎢
山梨市は山梨県の北東部に位置し、南側には美しい笛吹川が流れ、北側には奥秩父山地が広がる自然豊かな地域である。また、都心から約100km圏、JR中央本線、中央自動車道で90分という交通の利便性に恵まれている。
山梨市は果樹栽培が盛んな地域で、特にブドウや桃の生産が全国的に有名。これらの果実を活用したワインの醸造も産業の柱となっている。近年では、地域の観光資源としてワイナリー巡りも広がっている。
かねてより観光業も活発で、豊かな自然や温泉、歴史的建造物を活かした観光地として人気で国内外から多くの観光客が訪れる地域になっている。