人口増に伴い事故や犯罪増加 対策求める声
福岡県北西部、福岡市に隣接する粕屋町は、人口約4万9,000人(2024年8月現在)。博多から電車で20分余という利便性から、ベッドタウンとしても人気が高く、2045年にかけて人口増加が見込まれる、日本でも数少ない自治体の一つです。増え続ける人口の一方で、交通事故や窃盗犯を中心とする犯罪は増加しており、住民の意識調査では「事故や犯罪の起こりにくい地域社会の実現」を求める声が大きくなっていました。そうしたなか、町はある凶悪犯罪をきっかけに、デジタル技術を活用して子どもたちを犯罪から守ろうと取り組んでいます。
軽量の端末で行動を把握 警察に情報提供
粕屋町が取り組んでいるのは、九電グループの九州電力送配電株式会社が提供するQottaby(キューオッタバイ)のシステムを使った、子どもの「見守りネットワーク」です。
「どこかで、何かあれば、すぐに行方が追える。それが犯罪抑止につながるのではないかと考えたのです」
当時、取り組みを担当した粕屋町総務部総務課の豊福健司課長は、その狙いについてそう説明します。
キャラメルを一回り大きくしたサイズの軽量な端末と、それを検知するための手のひらサイズの基地局。これが、「見守る」ための仕掛けです。端末は「ビーコン」と呼ばれる、無線信号(電波)を発信する装置になっており、端末ごとに異なる信号を発信し続けています。まず、この端末に個人の情報をひもづけて登録。その信号を受信するための基地局を町のあちこちに設置しておくことで、どの端末を持った人が、いつ、どの基地局の近くを通ったのかが自動でサーバーに記録されます。これに加えて、近隣の住民がQottabyとセットの「見守り人」アプリケーション(アプリ)をダウンロードすれば、個人のスマホでも「基地局」と同じように信号を受信できるので、自分の用事を済ませながら地域の見守りにも参加できる「ながら防犯」で、より詳細な移動情報が得られる仕組みです。
端末を全小学生に配布 GPS使うよりシステム割安
サーバーに収集・蓄積した受信記録は個人情報になりますが、各端末はシリアルナンバーで管理され、基地局、アプリの受信記録にも個人情報は含まれないため、利用者は安心して使うことができます。有事の際など警察からの要望があった場合にのみ受信記録を提供し、事件などの解決に役立てられます。ほかにも、個人負担にはなりますが、保護者が子どもの移動情報を確認できるようにするサービスもあります。
町は2021年4月、町内の全小学生約3,500人に端末を無料配布。町内100か所以上に設置された基地局を使って万一の場合に備えた見守りを始めました。
町が、この取り組みを始めたきっかけは、2019年夏に町内で発生した通り魔による凶悪犯罪でした。防犯対策を求める声が高まり、パトロールなどを強化するのはもちろん、デジタル技術などを使った犯罪抑止ができないかと役場内で検討が始まりました。
「まず守るのは、子どもから」。検討のなかでそう方向性を定め、企業が提供する「見守りサービス」についてインターネットなどを通じて調べていきました。GPSを活用した、より正確な位置が分かるサービスも検討しましたが、導入コスト、運用費用ともに想定よりも高額だったため、システムに関しては比較的安価なビーコンを採用。隣接する福岡市ですでに実証実験を済ませていたQottabyを提供する、九州電力送配電株式会社と契約を結びました。
電柱や自販機に基地局 店舗や事業所にも設置交渉
導入コストは、端末も含めて1,800万円ほど。補助金は使わず、すべて町の予算から捻出する形でしたが、「事故や犯罪が起こりにくい地域社会の実現」を粕屋町総合計画の基本施策に掲げていたこともあり、全小学生への無料配布もスムーズに決まったといいます。
どこに基地局を設置し、どう今後の町づくりにつなげればよいのか—。同社とは、月1回以上の打ち合わせを重ね、設置場所などを決めていきました。信号が届く範囲は半径数十mほど。地図とにらめっこで、通学路を中心に必要な場所をリスト化。
災害対策などで包括連携協定を結んでいた九州電力株式会社やコカ・コーラボトラーズジャパン株式会社の協力も得て、電柱や自動販売機に設置していきました。加えて、民間の店舗や事業所にも豊福さんら町職員や九州電力送配電株式会社の担当者が直接、足を運び、設置を交渉しました。
配布にあたっては、忙しい教職員の協力をスムーズに得るために質問はすべて役場で受ける体制を整えましたが、「個人情報をどう登録すれば良いか分からない」といった保護者からの問い合わせが集中した日もあったといいます。毎年、町は700万円余の予算をかけて、少しずつ基地局の数を増やすとともに、新一年生や転入してきた小学生に無料で端末を配布しています。基地局は導入当初の約2倍、200か所以上(2024年)まで広がりました。
事件発生なし 高齢者や認知症患者向けに拡大検討
一方で、課題もあります。せっかく端末を配布しても個人情報の登録をしてくれる保護者は全体の8割ほど。端末が信号を発信するのに必要な電池は1年ほどで切れてしまいますが、電池を交換しているか、持ち歩いているのかを確認して回るのは困難です。導入以来、このシステムを使って警察に情報提供を行うような事件は発生しておらず、「数値などで成果を評価しづらい面はありますが、事件が起こっていないこと自体が成果だと思っています」と、取り組みを引き継いだ粕屋町協働のまちづくり課の吉永裕一係長。
今後は、この見守りネットワークを高齢者や認知症の方にも広げていこうと、同社の担当者をまじえて話しているといいます。「見守る対象がお年寄りの場合、病院周辺やショッピングセンター近くなど、基地局の設置場所も変わってきます」と、同社の森田勇馬さん。靴に付けたり、杖に付けたりと、お年寄りにどう端末を忘れず持ち歩いてもらえばよいのかについても知恵を絞っています。
この取り組みを始めた頃から、役場内の体制も大きく変わりました。「Society 5.0の実現」による課題解決を総合計画の柱に位置付けるとともに、2022年度にはDX推進室を設置して職員の研修を定期的に実施。役場の入り口で住民を出迎える対話型AIなど、若手職員からはデジタル技術で実施したい施策のアイデアがどんどん寄せられ、それらが実現するようになってきました。
「住民がより豊かに、安全に暮らせるように、これからもデジタル技術を積極的に取り入れていきたい」と吉永さんは話します。