ハマチ養殖100年 若者を惹きつけるために
香川県は、北は瀬戸内海、南は讃岐山脈にはさまれるように讃岐平野が広がり、古くから海上交通の要衝として栄えてきました。100年ほど前に世界で初めてハマチの養殖に成功して近代的な海産魚養殖の礎を築き、今も同県直島町をはじめとする瀬戸内海の島々や沿岸部ではハマチやヒラメ、カンパチなど数多くの魚が養殖されています。しかし、少子高齢化が進むなか、収入が自然に左右されやすく、きつい作業もある漁業の若者離れは深刻で、後継者不足に悩んでいるといいます。そこで、「香川県漁業協同組合連合会(JF香川漁連)」や民間企業がタッグを組んで、総務省「地域デジタル基盤活用推進事業」の実証事業を活用。魚の養殖に必要なノウハウや手間をデジタル技術で補い、安定して高収益を得られるような漁業DXを創出し、「若者に選ばれる漁業」を実現しようと取り組みを始めています。
漁業経営体が5年で21%減 デジタルで打開模索
「このままだと香川の漁業は先細るばかりだと感じていました」
取り組みに乗り出した思いを、地元のIT企業「株式会社ビットコミュニケーションズ」(香川県高松市)の内海信一取締役はそう語ります。香川県内の漁業経営体数は養殖業なども含めて970経営体(2023年)で、5年前と比べて264経営体(21.4%)減少しました。廃業にあたっては、「小割」と呼ばれる四角く区切って網をはった養殖用の生け簀を、別の生産者に引き継ぐことが多いのですが、人手不足もあり、引き継いで増えた小割の維持・管理に苦労している生産者も少なくないと言います。
そこで、内海さんらは、出身校である香川高等専門学校の先生に相談。JF香川漁連や香川県、AIを活用した農業を手がけている「メルヘングループ株式会社」(東京都渋谷区)などの協力も得てコンソーシアムを結成。「漁業従事者のニーズは何か」「DXで何ができるのか」を本格的に検討し始めました。
まず目指したのがデジタル技術活用による「収益の改善」です。たとえば、海水中の酸素が不足して魚が死滅する「赤潮」に見舞われると、生け簀ひとつにつき3,000~5,000万円の損失が出ます。赤潮の発生を予測し、少しでも早く生け簀を避難させることができれば、被害は抑えられます。
また、見回りの手間を監視カメラに代替させ、最適なエサの量、出荷に適した成長度合いといったノウハウの見える化ができれば、比較的安価な鯛や鮭といった養殖の効率化が図れるほか、単価が高いハマチの養殖に注力するなど経営の選択肢も広がります。「DXで収益が安定すれば、若者の担い手が戻ってくるのではないか」。最終的には、そんな期待があるといいます。
センサーやAIで赤潮予測 熟練ノウハウを可視化
取り組みにあたっては、AIやセンサーを使った農業DXを手がけてきた、メルヘングループ株式会社の住澤大介代表取締役らがAIを使って赤潮確率を示す「赤潮予測モデル」を提案しました。潮流や水温、酸素濃度などを調べるセンサーを海中に設置し、衛星を活用した高速インターネット通信である「Starlink」にて、そのデータを24時間体制でサーバに送信。過去の赤潮発生時のデータを学習したAIを使って、そのデータを分析し、赤潮の発生確率を割り出す仕組みです。
また、収益改善については、通常の見回り業務と、プロの目やノウハウが必要な作業をデジタル技術で代替させることを考えました。たとえば、通常の見回りの代わりに生け簀全体を監視するカメラを設置。また、生け簀の中に設置したセンサーや水中カメラをプロの目代わりに使って、水質や魚がエサを食べる様子から最適なエサの量を割り出したり、生け簀内の映像をAIで解析し、出荷に向けて魚の成長具合を把握したりするシステムを構築しました。余分なエサが減れば、高騰しているエサ代が節約できるほか、海洋汚染を抑えることもできます。センサーを結ぶ通信ネットワークには、複数のセンサーでも安定して高速でつながる「Wi-Fi 6E」と呼ばれる新しい通信規格を使い、得たデータはStarlinkを使ってサーバに送信する仕組みです。実証を進めるにあたっては、総務省「令和5年度地域デジタル基盤活用推進事業」の実証事業を活用しました。
とはいえ、事業を進めるのは「困難の連続でした」と、住澤さん。農業とは異なり、海は自然の影響をより大きく受けます。波や風はもちろん、センサーには海藻やふじつぼが付着して精度を狂わせます。生産者の協力を得るために、内海さんらと共に何度も説明に訪れましたが、初めは「そんなのいらん」という素っ気ない反応でした。
それでも、JF香川漁連・販売事業部の栩野(とちの)弘幹調査役らが間に入って応援してくれ、少しずつ話を聞いてくれるようになったと言います。潮目が変わったのは、実際に解析した結果を地元の生産者の人たちに披露してからでした。赤潮を予測するために海中に設置したセンサーが、瀬戸内の複雑な潮の流れや酸素濃度などの変化をきれいにとらえていたのです。「じいさんが言ってた『この海域で潮が変わる』って、こういうことだったのか」。語り継がれてきたノウハウが可視化されたことで、生産者の協力を得られるようになったといいます。
生産から出荷まで一貫管理のシステム 実証中
水中カメラなどによる生け簀内の監視も、エサ食いの様子のほか、泳ぐスピードが緩やかな鯛や鮭といった魚種であれば体長を自動的に推定できることが確認できました。
実際に協力した生産者からは「実装されれば見回りなどの作業が3割ほど軽減できそうだ」と好評で、赤潮予測についてもセンサーの測定精度は十分に使えるレベルだったことも確かめられました。エサの使用量も、これまでより15%ほど減らせるのではないかといいます。
「エサ代、燃料代が高騰し、人手不足も厳しい。温暖化で海の様子も変わってきていて、これまでの経験が通じないケースも増えている。デジタル技術で、そうした状況を変えていけるのではないかと期待している」と、栩野さん。
2024年度も、総務省「地域デジタル基盤活用推進事業」の実証事業を活用し、それまでの取り組みを発展させる実証事業に挑み始めています。赤潮の監視を続けるとともに、実証地域を直島だけでなく、高松市北東にある屋島、東かがわ市などにも拡大。動きが早いハマチを水中ドローンで鮮明に撮影し、成長を管理できるように工夫しました。また、市場で高く売れるタイミングを把握し、それに合わせて生産から出荷まで一気通貫で計画管理するウェブシステムを作ることで、安定した収益につなげられるか試みています。
導入コスト抑え、日本の漁業維持のためのモデルを
「農業は、『豪農』と呼ばれる人もいますが、漁業は家族経営も多く、大きな投資が必要な仕組みはなじまないと思います。実装・普及を考えれば、センサーや機材等、合わせて20~30万円ぐらいまでコストを抑えることが不可欠です。そのために、必要な機能だけに絞り、どこまでコストを下げられるのか、実証事業を通じて知恵を絞っています」と住澤さん。「漁業はまだまだDXが進んでいない領域。香川だけでなく、日本の漁業を維持するためにも、この取り組みを横展開し、新しい漁業のモデルを作っていきたい」と、内海さんも意気込んでいます。