「和牛オリンピック日本一」の地 働き手不足に悩む
鹿児島県鹿屋市は大隅半島のほぼ中央に位置し、古くから地域の交通や産業の要衝となってきました。2024年8月時点の人口は10万人弱。温暖な気候に恵まれ、農業や畜産業など全国でも有数の食料供給拠点になっています。なかでも牛は、「和牛のオリンピック」とも呼ばれる全国和牛能力共進会の肉質日本一に輝くなど、高品質で知られています。しかし、牛の世話は手間がかかり働き手がなかなか集まらず、どう省力化するかが大きな課題です。その解決を目指し、地元の畜産会社と通信企業、大学がタッグを組んで、畜産DXに取り組んでいます。
DXで牛の「起立困難」事故死ゼロへ
「苦しそうに頭を振っている牛がいますね。これが自力で立てなくなった『起立困難』状態。早く気づけば助けられるけど、3時間気づかず放っておくと死んで出荷できなくなってしまう。だからこそ、牛舎のこまめな見回りが必要なんです」。鹿屋市内で大規模な畜産業を営む「有限会社うしの中山」の一室。牛舎内に取り付けた多数のカメラの画像を確認しながら、DXに一緒に取り組んできた鹿児島市にある「eikoTec株式会社」の吉岡英行社長はそう説明します。
有限会社うしの中山では、東京ドームの3倍以上にあたる広大な敷地で、約5,700頭の黒毛和牛を肥育。これを約40人の従業員で世話をしています。大変なのが、牛舎の見回り。365日24時間体制で牛の変化に備えており、深夜は1人で対応していると言います。
見回りで気を抜けないのが牛の「起立困難」です。大きく育った牛ほど、小さなくぼみにはまるなどのちょっとしたはずみで、自力で立てなくなることがあるのです。すると、胃の中の食べ残しが発酵して胃が膨らみ、心臓を圧迫。3時間ほどで死んでしまいます。人が気づいて早めに立たせさえすれば治りますが、それでも起立困難死は1,000頭あたり年15~20頭ほど。出荷間近の牛ですから、1頭200万円近い損害が生じるのです。
コンソーシアム結成 広大な敷地にローカル5G
「起立困難で健康な牛を死なせることほど悔しいものはない。大きく育った優秀な子ほどリスクが高く、経営的にもつらい」と、有限会社うしの中山の中山高司社長は言います。
そんな中山さんの悩みに応えたのが、吉岡さんや「西日本電信電話株式会社(NTT西日本)」の山本環ビジネス営業部長たちでした。中山さんから相談されたのは、①起立困難による事故死ゼロ②見回りの人手を減らしたい③肥育の効率化――といった3点。山本さんらは解決に向け、作業ロボットに詳しい鹿児島大学にも相談してコンソーシアムを結成。牛舎の約4割を使って、牛房(飼育部屋)ごとにカメラを設置し、多数のカメラを同時につなぐことができる通信ネットワークとしてローカル5Gを試す計画を練りました。
予算については、新たな試みだったこともあり、総務省「令和4年度課題解決型ローカル5G等の実現に向けた開発実証事業」に採択され、費用負担なしに試すことができました。
カメラ1,000台超で遠隔確認 「危険」見逃しゼロ
実証にあたり、まず整備したのが、実証事業の対象となった18牛舎をつなぐローカル5Gと、そこにある1,008牛房の4Kカメラ。各牛房の天井から計2,016頭の牛を撮影し、スマホやパソコンを使って遠隔確認できる仕組みです。また、その映像をAIで解析し、立っているのか横になっているのかといった牛の姿勢を判断。起立困難のリスクの高い「横になって長い間、姿勢が変わらない」ケースを自動で見つけ、スタッフに危険を知らせるアラートを送るアプリも開発しました。さらにAIを使って、牛の位置や姿勢から「エサを食べている」「水を飲んでいる」時間を推定し、不調の早期発見や成長具合を推定する試みも行いました。
これ加えて、農林水産省「スマート農業実証プロジェクト」の一環で鹿児島大学が開発した見回りロボットの検証も実施。アラートを受けて、現場に急行して異常事態かどうかを判断するためのリアルタイム映像を送ったり、定期的な巡回でエサの残り具合を確認したりと、「ロボットスタッフ」として働いてもらうための動作確認も行いました。
その結果、最大64台のカメラのライブ映像を同時に確認できることを実証。牛が異常事態に陥っているかどうかを確認するだけであれば、28秒に1回の静止画像でも十分であることが分かったといいます。牛の異常を知らせるアラートについては、「前後の映像をスマホで確認してみたら寝ているだけだった」といった事例が多いものの、30件に1件は本当に危険な状態で、発見率は今のところ100%。事故ゼロが続いているといいます。
ロボットの活用もローカル5Gの電波が届く範囲ではスムーズでした。こうしたデジタル技術の活用を組み合わせることで「見回りにかかる労力の軽減や、起立困難による事故死を防ぐことで、年間3,600万円のコスト削減が期待できる」(山本さん)としています。
ほぼ実装レベル コスト抑え「道はデジタル活用のみ」
現在、コンソーシアムでは「足を投げ出しているケースの方が異常事態の可能性が高い」など、過去の事例からAIの学習能力を高め、アラートの確度を上げるなど、社会実装に向けた検討を続けています。1,008台のカメラも、不調は5日に1台ほどと、「ほぼ社会実装レベル」(吉岡さん)に達しています。ただ、最大の課題はコストです。今回は実証事業だったため、電波の届き具合をはじめ様々な通信テストを実施し、カメラやコンピューター、ローカル5Gの整備なども含めて1億5,000万円ほどかかったといいます。単独の畜産農家に自治体予算などで補助し続けるのは難しく、新しいビジネスモデルを創出する必要があります。「このコストのままで横展開するのは難しい。起立困難の死亡予防で1頭あたり100~200万円の損害を防げることを踏まえ、コストを抑えて社会実装を目指していきたい」と、山本さんは話します。
少子高齢化が進むなか、牛の飼育を続けるには「デジタルを活用するしか道はない」と中山さんは考えています。「自分の経験やノウハウをAIに教え込み、危険や健康状態を自動で判断できるようになれば、専門家はいらない。5年後には、スタッフは半分で同じだけの牛を見られる時代がくるのではないか」と、畜産DXの飛躍に期待を寄せています。